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(゚ω゚o[ #ゆっふぃーバス ]o 初日講義レポート(ゆっふぃー こと 寺嶋由芙 さんによる特別講義イベントレポート)

アイドル 文学 寺嶋由芙 ゆっふぃー

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「教える姿も~」「かわいいよ~」

第1回(2015年10月8日定期公演1@秋葉原)「アイドル現場における口上の分析」、

第2回(2015年11月12日定期公演2@秋葉原)「伊勢物語九段・東下りを読む」、

第3回(2016年2月14日バレンタインイベント@渋谷)「古き良き愛の授業」、

第4回(2016年4月2日花嫁修行@京都)「パンケーキ実習」、

と続いた特別講義も、今回で第5・6・7回目。わたくしは、1.3.4.5.6.7回を受講しておりまして、毎回趣向を凝らしたゆっふぃー先生の講義、とても楽しませていただいておりまする。

ここでは、2コマ続きの長編であり、なおかつ文学性の高いものとなった #ゆっふぃーバス 初日の講義について、文学&国語教育班から講義内容をご報告いたします。字の小さいところはわたくしの雑感ですので、そこは読み飛ばしていただいても問題ないかと思いまする。

 

・まずは、ここのところ恒例となっている「今回の出落ち」から。

 ゆ「んにゃにゃにゃ、ない…。」(カバンごそごそ)

 ゆ「部屋に忘れてきたかな…。」(ごそごそ)

 ゆ「そもそも部屋の鍵がない…。」(ごそごそ)

 ゆ「とりあえず見てくる。」(一人で走っていこうとする)

 私「KWSMさん、あぶなっかしいから一緒に行って来てください。」

 K「あ、そうだね。」(ぱたぱた)

   ・

   ・

   ・

 ゆ「部屋にあったー。部屋の鍵、ドアにさしっぱなしになってた…」

ヲタク「をーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」

(ちなみに、ヲタクの部屋はオートロックでしたが、先生の部屋は鍵式だったのだそうです。どこだったのかなあかなあ。)

 

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・というわけで、ちょい押しで始まった今回の講義、まずスライドを使って始まったのは、古今東西名作の作者名クイズ。『吾輩は猫である』、『雪国』、『ハムレット』、『もののけ姫』、『お願いバッカス』のフレーズが引用されました。

(「国境」を「くにざかい」とお読みになったのが萌え&推しポイントでする。自分と同じ世界の人には共感しやすいじゃないですか。『雪国』冒頭「国境」を「くにざかい」と読める人は同じ世界の人だなあと思うのです。私の予想としては、山梨のゆるキャラの話とか黄色いお犬様の話とかだろうと思っていたのですが、文学っぽい導入で背筋に緊張が走ります。)

 
・名作の引用からバスで来た道中のふりかえりを経て、スライドに映し出されたのは「太宰治『富岳百景』」の文字でした。あーなるへそ~。日本文学で富士山と言えば、最初に名前が挙がるだろう作品でする。場にふさわしい選択です。
続いてスライドには、作者太宰治の略歴年譜が表示・解説されました。ゆっふぃー先生、今回も基本に忠実でする。
近代文学の発表の場合、作者の略歴から始め、作者の全体の中のどの位置で書かれた作品なのかを最初に確認するのは、超王道なのです。言葉の定義をするときには辞書から(第1回講義)、近代文学の作品をやるときには年譜から、これでだけでも由芙さんが大学できちんと勉強なさった方だということがよく分かります。)
 
・ ここで全員に『富岳百景』の全文が配布され、ゆっふぃー先生による作品の朗読が始まります。朗読の前に先生から、「作品の中で、主人公が富士山に対していいと思っている所と悪いと思っているところに注意して読みましょう。できればそれぞれに区別が出来るように印を付けてね。」という指示がありました。(『富嶽百景青空文庫による全文はこちらです→)

太宰治 富嶽百景

(太宰の最大の魅力は「文体」であるとわたくしは思っております。特に安定した精神状態のもとに書かれた中期の作品の文体は、まさしく一点の無駄もない、日本語の究極の姿であると言えるかと。それを由芙さんの朗読で聞けるわけですから、声フェチであるわたくしにとって、これはもう超絶俺得現場でございました。ごちそうさまでした。)
 

・「いい富士を見た。霧の深いのを残念にも思わなかった。」まで朗読して、そこまでの注意点のまとめ講義が始まります。ヲタク生徒を指名し「私が富士山をいいと思っているところと悪いと思っているところはどちらがが多いか」「少ないけどいいと思ったところはどこか」を答えさせます。ヲタク生徒が困っているのを見て「学校みたいだなー楽しいなあ、えへ。」というドSが炸裂します。優秀なヲタク生徒が助け舟を出しつつ、「私」が富士山に対してどのような気持ちを持っていたかを確認し、続きの朗読が始まりました。この作品の「私」への最大の萌えポイントである「娘さんを、ちらと見た。きめた。」の部分にもしっかり注意を喚起しつつ、吉田から「私」の読者「新田」が訪ねてくる部分では吉田のゆるキャラ「吉田のうどんぶりちゃん」がかわいい話などに脱線しつつ、朗読は続きます。

 

・吉田のうどんぶりちゃん、この方です。かわいい!→

 
太宰治が逗留した御坂の茶屋「天下茶屋」(現在も営業している)のサイトはこちらです→

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・今回の宿泊地西湖(左下)と「天下茶屋」(右上)の位置関係。
 
 
・ちょいちょい解説をはさみつつ、素晴らしい朗読が続き(#声フェチ)、場面はゆっふぃー先生最大の萌えポイントに入ります。ここは是非原文をお読みになって、先生の萌えポイントがどこか予想してから次へどうぞ〜。

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・この部分の「お客さん!起きて見よ!」の部分がゆっふぃー先生のこの作品最大の萌えポイントだそうです。「お客さん!起きて見よ!」と「御坂の富士は、これでも、だめ?」の実演が行われて萌えでした。実演するゆっふぃー先生↓

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天下茶屋@御坂峠からの富士山 - Mt.Fuji from misaka pass by hogeasdf

 

 ・「私」が河口からバス(バス!)に乗って峠に引き返す場面、そのあと老婆が「おや、月見草。」とつぶやくところ、「富士には月見草がよく似合う。」のところまで読んで、次の時間に、なぜ富士には月見草が良く似合うのかを考えます」という予告をして10分間の休憩に入ります。
 ・外に出て帰ってきたら、先生に「質問がっつき」(新しい!)しているヲタク生徒がいたので、「私小説」の解説などをしつつ邪魔しておきましたwww
 

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・休憩明けて、先生から「なぜ富士には月見草がよく似合う」という思いを抱いたのかを周辺のヲタクお友達とグループディスカッションせよという指示があり、ゆっふぃー先生がヒントを出しつつ教室を巡回します。その後、当てられないように目を伏せるヲタク生徒を、またしても実に楽しそうに煽りつつ、作品内にある富士と月見草の対比構造についての解説が行われました。ここ、大切でした。
 
・先生から、この後の場面の内容の解説があり、本文少しとばして、「私」のお見合い相手との交流の場面から、先生が指名したヲタク生徒による朗読が始まります。
(配布された本文は、歴史的仮名遣い表記のものだったのですが、それをみなさんが楽々と正しく朗読するのを聞いて、わたくし驚愕いたしました。ゆふぃすと、優良です。国語教育の勝利を感じました。あと、ゲーさんは本当にいい声だなあと。)
 
ヲタク生徒による朗読が最後まで進み、最終場面を中心とした先生の全体解説が行われます。最後にまとめられたのは次のような内容です。
 
・作品の最後に行くにつれて、富士山へのプラスの気持ちが増えていく。
・いろいろあって病んでいた「私」が、御坂の暮らしの中で再生していくにつれて、プラスの気持ちが増えて行くのだと読める。
・「私」が富士山アンチだったのは「私」が病んでいたからなので、アンチの言うことは気にしちゃいけない(笑)
・プラスの気持ちが多くなって終わる話なので、みんなもハッピーな気持ちで読み終えられたのではないかと思う。
・(休み時間に質問に来たヲタク生徒の疑問を拾いつつ)この作品が、作者太宰治が実際に経験したことを元にして書かれた小説であり、作品内の「私」は太宰治に限りなく近い存在である。 
 
・ここで、もう一度作者略歴が表示され、作者太宰治の波乱の人生が確認されます。ここで提出された問題は、きわめて教えるものの立場からの意見です。何者なんだこの人は??? この辺りから、あきらかにアイドルイベントのノリは失われ、完全に文学教育の発表でしたな。以下、ゆっふぃー先生から提出された問題点をまとめます。
 
・『富嶽百景』が書かれた時の作者は生活も精神的にも安定期にあり、その安定感が反映された作品である。そのような作品として評価も高い。しかし、その後作者の人生は決して幸せなままではない。そのように「太宰治」の全体を考えた時に、この作品の読み方も変わってくるのではないだろうか。そうすると、例えば高校の授業でこの作品を扱う際に、作品内の「私」が作者太宰治に限りなく近い存在であることや、太宰治の一生を最初に説明してから始めるのがいいのか悪いのかは難しいところである。
 
 ・という問題点が提出されたところで、まさかの「メガネ先生のご意見を伺いたい」のご指名をたまわりました。心のなかで「てらしまかわいいちょうかしこい」とか連呼していたときでありまして、完全に油断しておりましたのでたいへん動揺いたしまして、わかりにくい言い方になってしまいましたが、今でもバリバリの構造主義者であるわたくしからは、「作品の独立性を重んじたほうが良いのではないか」というお返事を述べさせていただきました。
 
(日本近代文学研究はその初期からかなり長い間、作品を「作者」のなかに閉じ込めることで理解しようとして来ました。作者の人生、作者の発言などと重ね合わせることで作品の「真実」にたどり着こうとしたのです。これは、かなり安易な方向、とんちんかんな意見を「あのとき飲んだ時に作者はそう言っていた」として押し通そうとする意見などの蔓延を呼び、しかも例えば、「夏目漱石は娘を亡くしたから『彼岸過迄』には主人公が娘を亡くす場面がある」とか言ったって、作品自体の理解はなんにも深まらないのでは?というようなまっとうな疑問も生まれ、1980年代以降、作者と作品を安易につなげるのはやめ、作品を一つの「構造体」であると考え、その構造を分析・研究することこそが「文学」であるという態度「構造主義」が文学研究の中心となりました。私、この時代に7年ほど『源氏物語』のヲタクとして24時間『源氏物語』のことを考える生活をしておりましたので、今でもバリバリの構造主義者でございます。「文章を正確に理解する」ということであれば、構造主義は今でも価値を失ってはいないと私は考えまする。その後、2000年台には、文学研究は「ポスト・モダン」と総称される新しいシーンに入ります。「ポスト・モダン」をものすげえ雑にいうと「何でもありだ、自分で決めろ」ということでする。)
 
・「ポスト・モダン」の時代に大学に行かれたゆっふぃー先生のご意見は、特に「枠取り」の問題として、私の意見とは少し異なるものでした。まとめると、「『富嶽百景』という作品を読んで、どこまで視点を広げて考えるかを自分で決めて、自分で決めた枠に従って考えよ。その枠をどうするかによって作品の読みは変わってくるだろう。」というご意見です。その時には、なるへそ、ポスト・モダンの時代の方らしいご意見であるとだけ思っていたのですが、昨日のびっくり発表を受けて、少し違った考え方ができるのかなと思いましたのでする。ここからが当レポートの主題です。
 
・所属事務所移籍についての由芙さんのコメント↓

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・「寺嶋由芙」という存在を見るときに、どこまで枠を広げて考えるかによって見方が変わってくるだろうと。由芙さんご自身が、その枠を出来る限り大きく広げていきたいと考えていらっしゃることを、また「ゆふぃすと」は完全に「寺嶋由芙」という構造体の一部として考えられていることを、感じます。うれしいじゃないですか。

もうひとつ、時間軸の問題として考えた時に最終的に「寺嶋由芙」がどのような全体像を持つのかはまだまだわからない。これまでの、特にこの半年が、これからと合わせて考えた時に、どんな意味を持つものだったのかは、「これから」がどうなるかによって変わっていくだろう。

・由芙さんは、意味のないことと言わなくていいことは言わない方ですから、この講義の発言にも、今のご自身の状況が重ねられていたと読んでいいと思うのです

富嶽百景』の時期に安定を得た太宰治は、結局その後堕ちていくことを選んだけれども、寺嶋由芙のこれからは、どうなるかわからない。良くなるようにがんばるから、ちゃんと見ててね、ついて来てね、という気持ちが、この講義には込められていたのに違いないと私は思います。(と思った時の私のツイート↓)

 

・ついて行きます!ついて行きますとも! 

 

 ・「ゆふらぶ」該当ページ↓(2016年7月28日以降は表示されなくなる予定です。)

 ・「ゆふろぐ」2016年5月12日の記事↓

  ・「ゆふろぐ」2016年3月6日の記事↓(是非合わせてお読みくださいませ。)

 

 

 ・この後テストが行われ、大問題!が発生するのですが(笑)それについては、きくりん氏のナイスレポート↓に詳しいのでそこをお読みいただくこととして、私からの報告は以上とさせていただきまする。

 
・メガネ先生(国語)でございました。最後まで読んでいただいて恐縮至極でございます。新しい環境でも、是非また、超絶俺得現場である ゆっふぃー先生の特別講義イベントが継続していくよう、願います。それでは、また現場で!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(あ、本当に国語を教えておりますです。都内の某国立大を卒業後、どこかの院に行って『源氏物語』の研究などをするはずが、いろいろあって(笑)研究はやめ、予備校で小学校5年生から高校3年生まで、全学年に受験の国語を教えております。ヲタクとしては高齢新参のただのやっかいですが、文学&国語教育に関してはいちおうガチ勢ではあるかと。特に受験の国語はおまかせくだされ。高校生&浪人生、勉強しような。)